彷徨い日記。

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zoom RSS 高岡近辺のバスの記憶。

<<   作成日時 : 2008/06/12 04:32   >>

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古くて地域がごくごく限られた話の上にかなーり曖昧な記憶なので、何の役に立つんだろうと思いつつも。なんかの参考になればいいなあと。

偉大なる富山県の壮麗たる高岡市(笑)に最後に行ったのはもう7年前なので、頓珍漢なことを書いてるかも知れず。気付いたことがあったらコメントでも指摘してやっておくんなまし。

バスとは関係ない話も混ざってるが、諦めて読み飛ばしてちょーだい(笑)


加越能(かえつのう)鉄道や地鉄(富山地方鉄道)、北鉄(北陸鉄道)のバスのちゃんとした話は、もりさけてんさんのHPの「北陸ローカルバス探見隊」にある「付録」が詳しいです。わしもこの記事を書くにあたって、もりさけてんさんのHPをかなり参考にさせてもらってます。(引き写しはしてないのよん)

酒屋の主人が趣味で書いてるんだと思い込んでたら、違うらしく(笑) あらら。

(6/26追記)もりさけてんさんからメールを戴き、何か所か補足。この場を借りてお礼申し上げます。


 


・お題



  1. 高岡駅前のバス乗り場

  2. 市内バス5・6系統

  3. 市内バス3・4系統の専用バス停

  4. 1・2系統の経路

  5. 五箇山特急、和倉特急

  6. 金沢行き急行

  7. 富山〜高岡急行バス

  8. 加越能の路線図

  9. 代替経路

  10. バス停の標識

  11. 佐加野の小回り

  12. 幻の「羽氷線」

  13. 加越線

  14. 戸出団地循環路線


 


・高岡駅前のバス乗り場


かつては加越能鉄道による高岡の市街地を周回するバスが、2路線4系統(各路線に右回りと左回りの2系統)あった。市街地西北部を回る3・4系統のさらに内側を回る5・6系統(現在のコミュニティバス・こみちオレンジルートにほぼ相当)が走り始めたのは、確か四半世紀ほど前から。

現在は駅南や末広町発着の一部路線を除き、ほぼ全ての路線が高岡駅前のロータリー東側にあるバスターミナルに発着する(らしい)が、40年近くの大昔は市内バスのみ別の場所から発着していた。「市内バスのりば」と大書した看板が掲げられていた…気がする。


駅から右手に進み、丸大というデパート(大丸に非ず)の先にあった駐車場のようなところで、現在の地図を見るとホテルα-1高岡駅前やデュオの先だろうなと。(このへん)

幼い頃の記憶だが、構内にはうどん屋があったような。高岡駅の待合室で今も営業を続けている(はずの)今庄でなかったかと。

市内バスの発着はその後、1・2系統が確か駅前の1番乗り場、3・4系統が3番乗り場に移動。5・6系統も3番だったかな。

(6/26追記)もりさけてんさんによると、市内バスの元発着場は現在でも加越能バスの待機場のような感じで使われているんだそう。虎は死して皮を残せり、といったところか。


駅前の乗り場は今はどうなったか知らんけれど、わしが高岡にいた頃は5番まであった。1番が小杉・富山・新湊方面、2番が戸出(といで)・砺波方面、3番が福岡・石動(いするぎ)・佐加野(さがの)・石堤方面、4番が伏木(ふしき)・氷見(ひみ)方面でなかったか。5番は確か、石瀬とか蓮花寺方面だったような。下関(しもぜき)の跨線橋を越える路線の専用だった気がしてきたが、そしたら石瀬は違うかな。1〜4番はビルの前に一列に並んでいたが、5番だけ浮島のように離れたところだった。

今のコミュニティバスは「高岡駅前」と「駅前バスターミナル」に停まるらしいが、「高岡駅前」の方は万葉線(旧・加越能鉄道)の乗り場のあたりかいな?


万葉線の高岡駅前駅はかつて新高岡駅を名乗っていて、名称が変わった時にはバス停みたいな名前になったな、と感じた。北陸新幹線計画と関係があるらしいが。

2面2線(2本の線路をコの字形に囲む形)だった。今は1面1線になったんでないかな。


 


・市内バス5・6系統


前述のように、後発の5・6系統の路線は現在のこみちオレンジルートとほぼ同じだが、末広町〜守山(もりやま)町間は違った。5・6系統は木舟町(きふねまち)経由で、当時は御旅屋(おたや)通りをバスが通るなどとは夢想だにしなかった(笑)
ついでに細かい話だが、高岡市ふれあい福祉センターにも立ち寄らなかった。


オレンジルートの路線図を見ると、5・6系統が走っていた区間で一部のバス停が変わったような気がする。高岡郵便局前や通町には停まったかなあ。

今の高峰公園前は、勤労会館前だった気がする。タカジアスターゼで知られる高峰譲吉の生家跡だそうな。全然知らなんだけど。

同じく今の高の宮口のあたりが済生会病院前だと思うが、少し場所が変わってるかも。済生会は遥か南、北陸新幹線の新高岡駅予定地あたり(イオンモール高岡とか高岡テクノドームとか高岡スポーツコアの近所)に移転してしまい、わしゃ結局自分が生まれた場所を再訪できず仕舞いになったのが惜しい。


オレンジルートの羽広(はびろ)は、石堤方面のバスが横田本町経由から厚生連病院前経由に変わってから設けられたんだろか。

羽広二丁目は、5・6系統の就行時の新設だった気がする。

(6/26追記)もりさけてんさんのお話から察するに、現在のオレンジルートの羽広二丁目は昔の「ろう学校前」に当たる様子。


厚生連病院前は、昔は確か農協病院前でなかったか。病院の運営主体が変わってからは厚生連高岡病院前という長ったらしい名前になったような。

農協病院だった頃、あるいは厚生連病院に変わってからもだったか忘れたが、高岡駅前との連絡バスがあった。黄色地の加越能バスと違い白基調に青の塗色で、無料ではないが運賃はごく安かったと思う。

(6/26追記)もりさけてんさんによると、現在でも厚生連の送迎バスが運行中とのこと。低床車(ノンステップ・バス)で車掌も添乗している由。


 


・市内バス3・4系統の専用バス停


3・4系統の高岡駅前〜横田本町間は佐加野・石動・石堤方面と、横田本町〜羽広間は石動・石堤方面と併走していた。

これら併走区間にかつて、郊外路線は停まらず市内バスのみ停まるバス停がいくつかあった。…今もか?


駅から近い順に挙げると、二丁町(にちょうまち)、西条口(さいじょうぐち)、国道橋詰(こくどうはしづめ)

二丁町と西条口はその後、郊外路線も止まるバス停に昇格した気がする。国道橋詰は30年ほど昔に廃止。横田小学校の校庭の外れか、その少し羽広寄りあたりだったと思う。(このへん)


横田本町〜羽広間はかつて、福岡・石動方面が1時間に4本、石堤・花尾方面や3・4系統も同じくらいの頻度だったような。なので、バス停に行けばほとんど待たずに乗れたんだけれど。最後に乗った15年くらい前には1時間に3本くらいしか無くなり寂しい思いをしていたら、今はさらに減って一日数本程度らしく。(6/26追記)花尾行は一時期赤丸行になったが、今は加越能バスとしては石堤止まり。

…まあ、旧街道に行けばオレンジルートが1時間3本走ってるようなんで、さほど困らんのかも知れないが。5・6系統と違い、片方向周りなのはちと不便な気がしなくもなし。とはいうものの既に高岡の家は無いから、滅多に乗る機会も無いんだが。


 


・1・2系統の経路


市街地北東部を周回する1・2系統はこみちブルールートに譲り、周回はしなくなったらしいが、高岡駅前〜職安前はまだ1・2系統と名乗っているんだとか。その経路の一部は、かつてとは違う気がする。

市役所が現在地に移転する前(旧市役所は今の本丸会館)の話だが、1系統で言うと、古城公園前の次は中川(今の工芸高校前)、その次は氷見線の踏切を渡って中川園町(今の高岡高校のあたり)でなかったか知らん。もしかしたら、市役所の移転に伴い経路を変えたのかも。

あるいは思い違いで、中川から県営プール前(市役所の向かい側あたりか?)に直行していたかも知れない。県営プールのそばにバス停は無く、少し歩かなきゃならんのが面倒に感じた記憶は残っているな。

職安前のバス停も、昔は向野町とかだった気がするけれど。定かでは無し。


古城公園の南端、定塚(じょうづか)町と中川上町の間に大手町というバス停があるようだけれど、昔からあったっけな? とんと記憶に無いが。

その大手町から中川の交差点、つまり古城公園の南側の堀沿いの道は桜馬場(さくらのばば)と呼ばれていて、季節になると桜並木が華やかだった。うちの小学校の校歌の2番だったか3番だったか忘れたが、「桜馬場に咲き匂う 花の如くに麗しく」とかいう歌詞があった…と思う。

1番の出だしは「千保(せんぼ)の川の澄めるごと 清く正しい心持て」だったが、当時の千保川は工場や家庭の排水が流れ込む汚く臭い川だったので、皮肉に感じた。今は随分と綺麗になったんだろか。


古城公園内にあった図書館脇だったと思うが、SLのC11形が静態保存されていて、子供のいい遊び場だった。…が、雨ざらしだったもんで20年ちょっと前くらいにはえらくボロボロになってしまい、危ないから登らないようにとの立て札が立てられた。

今は図書館が移転してしまったが、SLは同じ古城公園内の市民体育館横に移設したそうな。写真を見ると、ちゃんと屋根付きの展示場を作った様子。(参考記事)

わしゃ走ってるSLを見たことが無くてなんで置いてあるのか不思議だったが、かつて氷見線や城端線を走っていた機関車だそうな。そーいやあ現存するかどうか知らんけれど、高岡駅構内の南東側に煉瓦造りの機関庫や、南西側に転車台(ターンテーブル)があったなあ。

このへんの話はいずれ、8番ホームの客車留置とかと併せて別の記事で。


バスの記事なのに脱線が多くて申し訳ない(苦笑)

1系統に話を戻すと、市民病院前からは高伏(こうふく)道路(万葉線が走っている道路)を高岡駅方に戻り、志貴野中学校の北側の交差点を折れてバイパス(現在の国道8号線)に向うが、道路がバイパスで分断されたのと交通量の多い交差点を右折するのを嫌ったか、手前でぐにょんと左折して(このへん)熊野町の交差点で横切る経路だった。

熊野町の交差点からは日曹(日本曹達)の工場前に立ち寄り、守山(守山町とは別の場所)に向かう道に戻って二上(ふたがみ)橋の手前で左折して木町(きまち)へ向かったんでなかったかな。木町からバイパスを越えて五福町の通りを行った覚えは無いから、熊野町の交差点に進んで右折し、今度は成美(せいび)小学校に向かって進み京町の交差点を左折、旧8号線の大坪町の交差点を右折して、平米(ひらまい)小学校前や小馬出町(こんまだしまち)を通って木舟町に至り、高岡駅前に戻る経路でなかったか。

(6/26追記)もりさけてんさんによると、平成5年度(1993)の地図では木町〜新成町〜五福町〜明野町〜大坪町の経路だったそう。経路は何度か変更してそうな気がする。


小馬出というのも珍しい地名だと思うが、子供の頃に流行っていた小柳ルミ子の「私の城下町」に引っかけて「♪私の小馬出〜」と唄ったり、木舟町の大通り(通称を忘れた)を挟んで反対側にある御馬出町(おんまだしまち)とごっちゃになったりした。


 


・五箇山特急、和倉特急


20年くらい前、高岡と五箇山や和倉温泉を結ぶ特急バスを、加越能が運行していた。いずれも通常の路線バスではなく、中型の観光バスを使っていた。大型ではなかった気がするぞー。

このうち五箇山特急は、戸出町〜高岡駅前のごく短い区間ながら二度ほど乗ったことがある。


試験のためだったかサボリだったか(笑)忘れたが早く下校した時にバスを待っていたら、五箇山帰りの特急バスが停まった。「特急」と付いているから別料金がかかるかもとか、こんな観光客が乗るようなバスに小汚い高校生が乗っていいものなのか…と遠慮していたら、運転手が気さくに声を掛けてくれたので、お言葉に甘えた次第。

車両は観光用なので前乗り前降り(路線バスは後乗り前降り)で、座席は当然ながら上々、車内前方に設置したモニターで五箇山や高岡などの観光案内を流していた。

五箇山特急は既に廃止したようだが、現在の高岡駅前〜萩町神社前線がほぼ相当する様子。ただし、観光バスでなくふつーの路線バスの車両らしいけれど。

特急当時の終着は、どこだったか忘れた。西赤尾でなかったかな。だとすれば、今の路線はさらに先まで行って県境越えを果たしたわけで、慶賀の至り(つーほどのもんでも…)。

萩町神社前は白川郷のあたりのようで、岐阜側からのバスもある模様。本数や時刻の関係でかなーり厳しいが、乗り継ぎはできないこともないような。氷見・高岡と岐阜を結ぶ高速バスの運行を始めたようだけれど、どうも五箇山には立ち寄らないようだから面白味が無さそうなんで、そのうち乗り継ぎダイヤを調べてみようかな。


和倉特急は乗ったことが無いけれど、高岡駅前から山間の守山を抜けて氷見に至り海岸沿いに進む、昔の国道160号線にほぼ忠実な経路だったように思う。…あれ?
そしたら四ツ屋も通るはずだな。だったらもう少し見かけてても不思議じゃないんだけどなあ。

五箇山特急と共に交通公社(現JTB)版時刻表にも載っていて、巻頭の路線図にある「一石山(いっこくざん)」というバス停がどんなところなのか興味津々だった。路線図に乗るくらいだからなんか名所でもあるんだろうと期待したけれど、親に連れられて車で通りかかったら山間のなーんも無さそうな場所で、拍子抜けした記憶がある。(6/26追記)調べてみたら、一石山はホテルマイアミの近所らしく。大境(おおざかい)あたりかどっかと勘違いしたな(苦笑)

この和倉特急も廃止されたらしいが、途中の脇までは一日数本のバスがあり、脇と七尾の間も北鉄系のバスが一日4本ほど運行、七尾と和倉温泉の間はもっと本数が多いので、乗り継げば和倉特急の跡を辿ることも不可能では無さそう。とはいえ、お互いの乗り継ぎはあんまし考えていないようで、ほんの数分の差で数時間待たされる、なんてことにもなりかねない。これも気が向いたら、改めて。


 


・金沢行き急行


かつて、高岡駅前と金沢駅前を結ぶ急行バスがあった。30年くらい昔だったか。

これは五箇山特急などと違い車両は通常の路線バスだったが、停まるバス停が少ないことや行先表示板(方向幕)の「急行」の黄色い表示が格好良く、一度は乗ってみたいと思っていた。

とはいえ、高岡駅前を出ると次は横田本町、その次は立野まで停まらないため、まず乗る機会は無かった。ところが良くしたものというか何というか、叔父が間違えたために高岡駅間〜横田本町間だけ乗車経験あり。

(6/26追記)もりさけてんさんによると、北鉄バスの黄色い「急行」表示は門前行急行バスで現在も使用中だそう。見たら懐かしくて泣いちゃうかも(笑)


停留所は思い出せる限りでは、高岡駅前‐横田本町‐立野‐福岡駅前‐石動駅前‐津幡駅前‐森本‐鳴和‐橋場町‐武蔵ヶ辻‐金沢駅前でなかったか。福岡と石動は、もしかしたら駅前には寄らなかったかも。森本には停まらなかったかも。

北鉄との共同運行だったか、加越能の単独だったかも忘れた。高岡で北鉄のバスを見たような気がするし、見なかったような気もするし。見たのは和倉特急の北鉄バスだったような気もしてきたし。

(6/26追記)これまたもりさけてんさんのお話。高岡〜金沢間の急行バスは北鉄と加越能の共同運行で、かつては倶利伽羅の旧道(天田峠越え)を経由していたこともあったんだとか。


廃止された今は県境を越える路線も無く、小矢部市のコミュニティバスなどを使っても相当歩く覚悟が必要な様子。

まあ、古戦場として有名な倶利伽羅峠を越える道だから、天気や陽気がよければ気持ちよく歩けるかも。

そーいやあ、自転車で金沢に行こうとして倶利伽羅トンネル内で転けて轢かれるかと覚悟したことがあるなあ。結局、津幡あたりで断念。その後、友人らと3人で能登島まで往復したのに比べると、距離は遥かに短いんだけどね。


 


・富山〜高岡急行バス


富山と高岡を結ぶバスには、小杉を通る旧国道8号線(現・県道44号線)にほぼ忠実な路線と、バイパス(現8号線)を通る路線の2つがあった。今もそうかな?
昔は本数が多い路線で、急行もあった気がするなあ。

運賃が国鉄(現JR)と比べると割高で時間も掛かり、長じてからは自転車や車で行くことが多くなってほとんど乗っていないんだが、小杉経由には1回か2回乗ったことがある。

バイパス経由の富山方の経路は忘れた。呉羽(くれは)山を越えて北に曲がったんだか、富山駅前から神通(じんづう)大橋を渡り北陸本線を越えたんだったか。

確か加越能との共同運行でなく地鉄の単独で、高岡で地鉄のバスを見るのは珍しいんだが、あんまし格好良く無いなあと思った。


ことほど左様に路線の印象は薄いけれど(苦笑)、前述のように自転車や車で何度も行き来しているので、それなりの思い出も。

呉羽は有名な梨の産地で、時期になると沿道で露天売りもある。旧8号線沿いの展望台あたりにもあるが、裏手の太閤山に向かう道筋で売ってるのの方が美味い気がした。自転車で富山まで行った帰りに一袋10個とか12個とか入りのを買って、道すがら2つばかり食べつつ帰るのが楽しみだったなあ。ある時、買おうと思ったら誰もおらず、代金の1200円ちょうどが無くて困ったこともあった。諦めて他の露天売りを探したか、泣く泣く多めに置いてったかは忘れた。金を払わず持ち逃げ…なんてハシタナイことは、やってないのよ(笑)

(6/26追記)古く微かな記憶だが、「しょーがねえなあ」と思いつつ伊藤博文の千円札と岩倉具視の五百円札を1枚ずつ置いてった…よーな気がする。


バイパス沿いは今でこそ店がいろいろ建ち並んでいることと思うが、20数年前はあまり無く、走っていて退屈だった。

春先に富山で遊んで自転車で帰る際、目先を変えようとバイパス経由で行ったら、退屈で麗らかだったもんで居眠り運転してしまった。気付いたら景色が少し変わってて、いやー焦った焦った(笑)
よく転けなかったもんだ。


 


・加越能の路線図


加越能のHPに主要バス停入りの全路線時刻表が載っていて、経路は手元の電子地図である程度推測できるんで、路線図を作りかけたことがある。路線を区別しやすいように色分けしたり、頻度がわかるように線の太さや形状を変えたりしたんだが、けっこう手間が掛かって断念。

と思ったら、冒頭で紹介したもりさけてんさんのHPに、簡単だがわかりやすい路線図が載っていた。うーむ。


加越能バスの全停留所掲載の時刻表とか路線図が、あったら欲しいような。ほとんど乗る機会は無さそうだから、加越能にしてみれば迷惑な話だろうけれど。

そーいやあ、高岡駅前の1番乗り場近くにあった案内所(まだあるんかな?)のあたりに、路線の概要図が掲示されてたっけな。


自作の路線図は、 改めて作り直すかどうかはビミョー(笑)


 


・代替経路


波岡(はおか)から早川を抜けて羽広に至る道はわりと広くまっつぐなんだが、田圃の中なもんでバスは通常通らない。下手すりゃあ、日中は人と会わないような道だし(田圃の中にはいるわよん)。

ところがある時期、バスが走っていたことがあった。とはいえ通常運行ではなく、代替経路として。


5月1日の御車山(みくるまやま)祭りの時期だったか他の催しの時だったか忘れたけれど、佐加野方面の路線が早川を通り抜けた日があった。たぶん、末広町あたりを通れないための迂回だと思う。長江や早川に臨時のバス停を設けたかどうだかは忘れた。

地図を見ると末広町近辺を避けるんなら、横田本町と羽広の交差点の間を8号線で行く(瑞穂町経由)とか、片原町の交差点から156号線を戸出方に向かって南町で右折する経路(白銀町経由)の方が楽で便利なんじゃないかと思うけれど。

なんでわざわざ早川を回ったのかは知らないが、珍しいんでバスが走る様子を見に行ったのは覚えている。

末広町を通れないと他のほとんどのバスも困るはずで、木舟町や片原町あたりで折り返してたような気がするなあ。バス停での掲示や折り込みチラシでそんな案内があったような、うっすらとした記憶。


これは定期路線なのか同じく代替経路なのかはわからないけれど、半世紀ほど昔に横田甲島(こうじま)あたり(現在のオレンジルートの経路よりも裏手の道、千保ゴルフセンターの近く)をバスが走っていたと聞いたことがある。

バスが通るには狭い道だし、その話をしたのは件の金沢行き急行バスに誤乗した叔父(笑)だったので俄には信じ難かったが、祖母に聞くと確かにそうだと言っていた。

ボンネットバスだったそうで、もしかしたら、かつての5・6系統よりさらに小回りの循環路線だったのかも。あるいは、博労町(ばくろうまち、“ばくろまち”と呼ぶことが多い)経由で和田あたりに抜ける路線だったか。


 


・バス停の標識


今の加越能のバス停の標識の多くは、白地の丸板に赤の横帯入りだと思う。

昔はバスの塗色によく似た、淡い黄色の丸板に青の横帯入りでなかったかな。前述の二丁町や国道橋詰、3・4系統の永楽町や浜田町や大工中町なんかのは、昔はそうだった。西条口は時代が下っていたためか、設置当初から白地に赤だった気がする。

置き換えが始まって久しいから、旧塗色のがまだ残っているとは思えないけれど。


 


・佐加野の小回り


佐加野経由で頭川(ずかわ)方面に至る路線は、佐加野の集落内をぐいっと小回りする。道はさほど広くないし周囲の家々も古びているので、答野島あたりから来てたまたま行き会うと、なかなかに趣があったなあ…という話を、もりさけてんさんの記事を読んでて思い出した(苦笑)

頭川は昔は終点だったが、今は仏生寺(ぶっしょうじ)や万尾を抜けて氷見に至る路線があるそうな。もりさけてんさんの記事に依ると、山間の道や十二町潟(鬼蓮の群生で有名)に沿った風情がある路線とのこと。この路線は新しいトンネル(たぶん新津々良トンネル)の開通後に出来たらしく、旧道の頭川トンネルは有名な“心霊スポット”なんだとか。ぜーんぜん知らなんだ。通ったことも無いけれど。


高岡から仏生寺経由で氷見に至る路線には、十二町潟にヘラブナ釣りに行った時に乗り損ねた(笑)ことがある。当時、もう30年ほど昔になるが、仏生寺方にはバス停があるのに氷見方に無くて、乗り方がわからなかったという顛末。しょうがないんで、その頃流行っていた黒沢年男の「時には娼婦のように」を口ずさみながら歩いたような気がするなあ。…なんつー子供だか(苦笑) ついでに、ヘラブナは一匹も釣れませなんだ。

万尾は昔、道路の案内標識に「Mo」とあったんで「も」と読むんだと思い、漢字二文字なのに読みは一文字とは愉快だなと勝手にほくそ笑んでいたんだけれど、実際は「もお」なんだとか。うーむむ。


答野島は正式には「とうのしま」だそうだが、「とのしま」と呼び習わされているはず。…まあ、そーゆーこともあらあな。

8号線の北島口から答野島を通って能越自動車道のあたりまで通じる道があるようだけれど、昔っからあったっけなあ? 小矢部川(おやべがわ)に架かる国吉大橋には見覚えが無いし、15年くらい前にあったんなら、答野島に行く時に佐加野周りでなく、こっちから行ったと思うんだけれども。中学・高校と何の因果かほとんど同じ経路だった文字通りの遠足で、このあたりを歩いたはずなんだが、国吉大橋は無かった気がするなあ。


佐加野を通る路線は仏生寺経由氷見方面の他に勝木原(のでわら)行もあり、佐加野で分岐して答野島を通る。一日3往復しか無いようだが。

勝木原あたりは山菜採りや山歩きでよく行った。勝木原の名は“ぬるではら”が訛ったものだと聞いた。ヌルデは漆のナマカぢゃねえや(笑)仲間で“勝の木”の別名があるらしいから、きっとそうなんだろうな。もっとも子供の頃は、“のでわら”と“勝木原”は別物だと思ってたんだけれども。

勝木原行のバスに乗ったことは無いけれど、15年ほど前に車で石川県の宝達(ほうだつ)方面に抜けたことはある。当時は未舗装でとんでもない山道の区間がいくつかあり、そんな所でもダンプがばんばん走ってきて驚いた。今の地図を見ると、少なくともその頃よりは走りやすい道が出来ている様子。


 


・幻の「羽氷線」


子供の頃、氷見線を富山湾沿いに延ばして七尾まで繋げれば便利なのに…と思っていたら、氷見と羽咋(はくい)を結ぶ計画があったと聞かされて驚いた。

羽氷線(うひょうせん)という計画路線で、実際には着手しないまま放棄されたらしいけれど。「うひょー線」でも「有頂天」でも無いのよん。念のため(笑)


この羽氷線に沿った経路は、千里浜(ちりはま)に行く時に何度か車で走った。氷見から熊無(くまなし)を抜けて羽咋に至る結構走りやすい道で、山間の静やかな道筋で沿道に池や川があって気持ちが良かった。

バスでもこの道筋を通って氷見と羽咋を結んだり、熊無より南の三尾(みお)で乗り継ぎが出来たらしい。これはもりさけてんさんの記事の受け売り。熊無のバス停は、見たことがあるけどね。

今は県境前後で路線が分断され、直接の乗り継ぎは出来ない様子。歩いて峠を越えれば不可能では無さそうだし、距離もせいぜい2〜3kmのようだが、いかんせん本数が少ないのが鬼門。

さらに南の氷見〜桑の院・坪池線と石川県羽咋郡宝達志水町の巡回バス・のらんちゴー所司原(しょしはら)コースの間も、2〜3km程度歩けば乗り継げなくはない感じ。といっても石川県側の路線は上りが朝夕の2本、下りが夕方の3本らしいから、厳しいだろうなあ。

桑の院には鉱泉があって、行ったことは無いはずなんだが夢の中に突然それらしい風景が現れたことがあり、えらく驚いたことがある。子供の頃になんかで連れて行かれたか、他の景色とごっちゃになったのか、さっぱりわからぬ。


千里浜といえば、昔は汽車(七尾線は当時非電化)で行ったなあ。羽咋の駅から2kmくらいあるのに、よく歩いたもんだ。

浜辺に千里浜レストハウスというライブインのような施設があり、観光バスも休憩に立ち寄るところ。ここの食堂は知らんが、入口脇にあった焼き蛤は不味かった。南に下った浜辺に並ぶ、おばちゃんらが手招きしてくれる小屋にすればよかったと後悔したが、後の祭り。…千里浜レストハウスの名誉のために付け加えておくと、7年前の閑散期の印象だし、中の売店のおばちゃんたちは愛想良かったです、ハイ。

この千里浜は砂浜の上を普通の乗用車でも走ることができる「千里浜なぎさドライブウェイ」があり、乗用車どころかでっかい観光バスも行き来するんで、知らないと面食らうかも(笑)
前出のリンク先によると走れるのは羽咋から今浜までらしいが、高松(四国のぢゃないのよん(笑))あたりまで行けた気がするけどなー。

ちらっと触れた浜辺の小屋(屋台)についても前出のリンク先に詳しく、わしは二度ほど行ったことがある。貝の浜焼きを食いながらビールでも飲むと美味いだろうなあと思ったが、わしが運転するしかなかったのでラムネで我慢。呑まない運転係を連れてくか、タクシーでも駆るしか無いかねえ。


 


・加越線


加賀(石川県の南半分)と越中(富山県)を結ぶ路線…ではなく、石動から城端(じょうはな)線の福野を通り庄川町までの加越能鉄道の旧鉄道線。昭和47年(1972)に廃止になったそうで、乗る機会はおろか存在自体も知らなかったんだが。

子供の頃に今の万葉線に乗って、なんかの用事で米島口(現在の米島口アルビス米島店前)にあった加越能の車庫に寄った時、加越能のおっちゃん達に「昔、(加越能線は)伏木まで通じとったがやぜ」とか「こんな線もあったがやぜ」などと古い記念切符をもらったのが、知ったきっかけ。残っていれば貴重な資料になったと思うが、高岡の家を引き払った際に全て無くなった様子。惜しいなあ。

加越線の廃止はずいぶん昔のことと思ったが、わしが切符などをもらった時点からはさほど経ってなかったんだな。


んで、これと同じ経路のバスがあり、その名もズバリ加越線。平日は8往復、土曜・日曜・休日は6往復だそう。井波や庄川町には、高岡からの直通バスも。

旧井波駅は、井波物産展示館として現存するそうな(参考記事)。路線跡も、自転車専用道としてほぼ残ってると聞いたことがあるが。太閤山あたりの自転車道路(中央サイクリングロード)も、計画線かなんかの鉄道用地を転用したと聞いた気がするけれど。はて。


加越線という名前は、福野と金沢を結ぶ計画があったのが由来だそうな。昔、福光を通って金沢と名古屋を結ぶ長距離バス路線(国鉄バスと北鉄の共同運行だったかな)があったんで、福野でなく福光と金沢なら納得できなくもなかったんだが。

そういえば、加越能鉄道の社名の由来も加賀・越中・能登の三国を結ぶという意図からで、最盛期には実際にこの3地域に路線があったなあ。


 


・戸出団地循環路線


高岡駅前から戸出の街に入らずに西に曲がり戸出団地に至る路線が、かつてはあった。確か、また高岡駅前に戻るんでなかったかな。

今は戸出団地を通って砺波方面に至るらしく、昔とは経路が違うかも。

手元の地図(プロアトラス オンライン)だと伊勢領の交差点付近と戸出狼の交差点との間でバス路線が途切れてるんだが、なんかの間違いかいな。細かいところはけっこういい加減な地図だからなあ。


それはそれとして。


うちの学校の最寄駅は城端線の戸出で、公共交通機関を使う生徒の大半が利用していたはず。

戸出駅よりやや近いのが戸出町のバス停で、城端線だと不便なところから通う生徒や乗り遅れた生徒がよく乗っていた。今もそうだが城端線は朝夕でも1時間に1本しか無く、高岡を8時過ぎに出るのに乗れないと1時間目か下手すると2時間目も遅刻してしまう。最新の時刻表を見ると、朝の通学時間帯には高岡7:56発の戸出8:09か高岡9:03発の戸出9:17の2本。9時半始業とも思えないから、生徒は8時前のに乗ってんだかねー。

んで、戸出町よりさらに近いのが戸出団地線の戸出支所前だった…などと書くと、どこの学校か察しが付くヤツもいるわいな(笑)


戸出団地線は本数が少なく、しょっちゅう使うわけにはいかなかったんだけれど。

朝方の1本はビミョーな時間帯で、バス停から走ればギリギリ1時間目に間に合うかどうか、運が悪いと職員室で遅刻届を書かされるハメになった。


そんなことを思い出しつつ地図を見ると、戸出駅あたりを通るバス路線があるような。

ナンダこりゃ!?と思ったら、高岡法科大学行らしく。校舎から随分離れているようだが、いいのか? 実際は大学の前あたりに横付けにしてんじゃないかと思うが。

さらに地図を見ると、その近辺に「高岡オフィスパーク」なる文字が。…んー、ほとんど田圃の真ん中なんだけれど。字面から街中だと思って行ってみたら、驚くだろーなー(笑)


 


 


適宜地図を入れればよかったかなー。

興味があったら、頑張って探してみてちょーだいませ。


また思い出したら、なんか書きます。

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高岡近辺のバスの記憶。 彷徨い日記。/BIGLOBEウェブリブログ
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